「ひとりで考える時間」

会社や学校・家庭という群れから離れて

自分好み〜落語編〜

好きなこと夢中になってること。
書籍や雑誌などの活字に365日触れること。
17才のころから突然本を読むようになった1ヶ月100冊以上のペースで。きっかけはまったく覚えてないが、もしかしたら古今亭志ん生の「志ん生長屋ばなし」という書籍から始まったのかも。札幌にいたので寄席に行ったこともなく落語家目指していたわけでもないが何故かこれは何度も何度読んでいくつかの落語は丸暗記した。その後ラジオ局AD時代に初めてSTVホール名人会という番組で生の落語と接して立川談志古今亭志ん朝月の家円鏡、先代三遊亭円楽などたくさんの落語を生で観た聴いた。古今亭志ん朝さんがぶっちぎりでした。まさにひとりだけ別格。次に円鏡さんでほかは横並びって感じでした。円鏡さんはその後8代目橘家圓蔵さんとなるのですが、いまから25年くらい前に六本木の飲み屋で飲んでるとき落語の話しになり、音楽業界の先輩が「円鏡はもう死んだよな」と言い出したので「いまは橘家圓蔵って名でやってますよ」と言っても「いや死んだよ」と引かないんで「じゃあ落語協会に聞いてみましょう」と夜の22時過ぎに番号調べて電話かけると「はい、落語協会です」って電話にでたんだよ。「六本木では圓蔵さん死んだことになってるけど死んだ?」「圓蔵師匠は生きてますよ。勝手に殺さないでくださいよーー」って。落語協会は夜でも電話つながるしシャレがきいてイキだなって感じで、その夜は盛り上がりました。その後は落語ともご無沙汰してたんだけど、40代後半から上野鈴本や池袋演芸場なんかの寄席に通うようになり、そこでひとり自分好みの噺家みつけました。橘家文左衛門(いまは橘家文蔵)「らくだ」「時そば」あたりがいいですね。軽い追っかけで文左衛門4回くらい連続でいきました。この人惜しいかなまくらが全然面白くない。まくらとても大事なのになー。でも好みの落語家ですのでこれからも期待はしてます。ある時よく考えたら春風亭小朝の落語聴いたことないなぁと思って埼玉まで行って小朝独演会聴きに行ったこともありましたがちょっと無理でした。途中でカツ丼食いに近くのそば屋に行っちゃいました。まぁ人それぞれの好みですから。志ん朝さんがもっともっと生きていてくれて80才や90才の時の志ん朝落語が聴きたかったです。好きな活字のこといっぱい書くつもりが、今回は落語編のみで。

では、また次回