「ひとりで考える時間」

会社や学校・家庭という群れから離れて

同じものを食べるのが好き2

焼き鳥嫌いが「とり皮」人生をスタート。

そもそも肉ですが、生肉は一切たべません。肉の焼き方は、超よく焼き。「ベリィウェルダン」です。居酒屋さんのウィンナー焼き好きなんですが、注文する時「本当によく焼きで」「これはとてもお客には出せないってくらい焼いて」ややこしい客です。

話しをもどしますが「とり皮」ハマりました。塩でもタレでもOKです。さらに超よく焼きでなくても大丈夫です。これはさすがに毎日毎日は食べられません。週に4日か5日ぐらいでした。最初は1日20本から30本程度でしたが、どんどんリミッターが外れて50本も軽くクリアして基本1日100本ペースになりました。嘘だと思うでしょうが、本当なんです。生き証人が何人もいます。実例で言いますと、自由が丘に老舗の「かとりや」という店があります。1本100円で美味しい店です。とり皮はせいぜい30本から50本程度しか準備されてません。ですから、自由が丘の駅を降りてすぐの焼き鳥屋さんを覗いて「とり皮何本ありますか?」と聞きます。だいたいの店は「とり皮たくさんあるよ」と答えますが「いや、具体的に何本ありますか?」と。「うーん50本はあるかな」「あとで来るので、その50本キープ!」「キープ?」「お金はいま払ってもいいけど」「人数たくさんで来るの?」「いや二人」こんな会話が終了して、はじめて「かとりや」に向かいます。飲み屋のボトルキープならわかるけど「とり皮」キープはなかなか聞かないでしょう。何回か続けてるとお店も慣れてきて「今度は来る前日に電話くれる。仕込みの本数変えるから」となり、まぁ馴染みのお客さんということになります。馴染みの店なんてつくりたくない人間なのに、この時は背に腹はかえられないという想いで、こういう店を何軒かキープしてました。

ですがこの「とり皮」問題もありました。たまに仕事上、大事な人物と飯を食わなきぁいけない場面もありますが、自分としては、とにかく毎日「とり皮」が食べたいので、当然焼き鳥屋さんに連れていきます。相手に気を使って白金の、ちょっとオシャレで味もよく、値段もそこそこの店にいったときです(プライベートでは何回かいってる店です)いつものように店入るなり「とり皮、全部キープでお願いします」店主もいつものことなので「はい」と慣れてます。ところが、すぐあとから来たお客が普通に「とり皮4本塩で」と注文。店主が「すいません、とり皮本日分売り切れで・・・」「売り切れ?そこにいっぱいあるじゃない」「こちらのお客さんの予約分なもんで」と店主もお客もチラッとこちらを見る「えっ全部、どっか奥にないの?」「すいません今日の分はここにあるだけで」そんな会話をしてるとき、つづいて新しく入ってきたサラリーマン二人連れが、なんの状況もわからず、わかる必要もないんですが「ねぎま、とり皮タレで2本づつ」と注文してきたんです。店主がなにも言わず、わたしの顔を見つめています。こういう「とり皮トラブル」の場面は大なり小なり何回か経験してるので、自分としては平気でした。が、わたしの連れの人物が「とり皮、すこし譲ってあげれば」と皆に聞こえるボリュームで言ったのです。店もこの「とり皮」問題で雰囲気が少し重い感じになっていました。しかしですよ。この時期のわたしの「とり皮」に対する情熱、愛情は誰にも理解できないMAX状態だったのです。なにがあっても、全部食うぞー状態でした。ただ店主と何回か目が合ううちに、自分ととり皮。とり皮と自分との関係に迷いが。世間との折り合い。あー。いやー。あー。いやだー。あー。うがー。あー。ああー。

小さな声で店主に「じぁ、8本だけ、あちらのお客さんに・・・・・」

それからは本数抑えて、地味にとり皮たべてました。ほんと地味に。なにせ一緒に焼き鳥屋へ行ってくれる人が一人もいなくなってしまったんです。「とり皮と人間関係」という哲学を学びました。いまはもう、食べてません。静かにフェイドアウトしました。普通ではないのはわつてましたが、こうして文字にしてみると異常というか不気味というか、人間的にかなり問題あり。か。
読み返すと、ちょっと元気がなくなったので、ここまでで。


では、また次回