「ひとりで考える時間」

会社や学校・家庭という群れから離れて

「本が好きです」1

前にも書きましたが本が好きです。
365日活字に触れるのが。
いま58歳なんで、もう40年以上です。

そもそも学校の勉強というのをやった記憶はありません。大学にも行ってないので、受験勉強もしたことないです。ただ、ただ本を毎日毎日読みつづけてました。

あッ。高校のとき一度だけ勉強したことがありました。自分は野球のスポーツ特待で高校へ入学したんですが、高2のはじめに大きなケガをして無事野球部辞めることができました。そこからは、ほぼ自由気ままに生きてました。はい。

一度勉強したというのは、同級生の森くん(彼は当時親元を離れてアパートで一人暮らしをしてました)の部屋で、森くんが大量に手に入れたマンガ本(入手方法は書けません)をすべて読み終えてしまい、何もやることがなくボーッとしていると、森くんが「なーんもやることないから、中間テストの勉強でもやるか?」「・・・・・」「テスト勉強?」「だってやることないべさー教科書なら俺もってる」いま思うと森くんは、乱れた生活を送ってたけど基本的に勉強というのが好きだったようです。
森くんの指導のもと、数学とかの応用系は無理なので、国語とか歴史の暗記系を3日間ほぼ徹夜で集中してやった。テストを受けるとほとんど解った。ところがテストの翌日職員室から呼び出しがかかり、いきなり「お前カンニングしただろう!」「・・・・・」「これほぼ満点だ!」「それがどーした」「お前がこんな点数とれるわけがない!ろくに学校にもこないのに!」「じゃ先生、同じ範囲内で別な問題をいま作れ、いまここで答えてやる」先生とこんなやりとりしたのを覚えてる。こんな学校の先生より、森くんの3日間の集中講義のほうが指導力があるってことだわ。

もともと学校という空間には興味がなかったんで、なんとも感じませんでした。いまから40年以上前にも、日本や世界のフリースクールに関する本は世に出てたんで当時からたくさん読んでました。いまでも学校や教育ものは読みつづけています。40年本を読んでて思うのはjapanの学校教育では若きjapaneseたちは、あまりhappyにはならないってこと。

高校生の頃、読んでたのは小説はもちろんノンフィクション、哲学、ビジネス書、教育もの、なんでも手当たり次第読んでましたね。

本を読むことでガキながらに、学校という一時期だれもが通過しなければならない場所や時間にしばられる必要はまったくないし、世の中にはたくさんの場所やたくさんの人がいて、たくさんの道があると感じていたんだと思います。

自分が通っていた高校は当時流行っていた『ビー・バップ・ハイスクール』をもっと強力にしたようなダメダメ学校で1年間で退学者が40人くらいでます。わかりやすく言うと、1年生のときは全科で16クラスあったのが2年生では13クラス、3年生では10クラスになるという学校です。
担任や教科担当に女性の先生は、一人もいません。新任できても1ヶ月もったひとはいません。無理です。ハイ。

でも、すてきな先生もいました。
2年の時の担任小西先生。担当は体育でした。体育の授業はうちのクラスだけ自由で「今日は何やりたい?」全員「卓球!」「じゃ今日も卓球」毎回コレです。同級生の武田くんが、卓球の全国大会にでる選手で、本当は左利きなんだけど我々とやるときは右利きにしてもらって、武田くんひとり対クラスメートつぎつぎと。武田くん右利きでも誰ひとり勝てない。これ1年間やりました。

話しを小西先生に戻しますが、なぜか先生の奥さんが街なかで喫茶店をやっていて「たばこ吸うならよそではマズイから、うちのカミさんの店で吸え」とアドバイスをくれたり、
「お前の出席日数ではとても3年にはなれない」
「いい方法がひとつある。受験の監視員をやれ」
言われるままにやると、進級会議のあった夜自宅に小西先生から電話がきて「よかったなー、3年になれたぞー。やっぱり監視員がきいたな!」
でも小西先生は3年の担任からは外されました。なんせ2年のこのクラス、退学者25名という開校以来の記録をつくってしまったのです。

あんたは学校にも行かず、何してたんだと不思議でしょうが、これがとても忙しく過ごしてました。これはまたゆっくりと。

小西先生、あのときはお世話になりました。
ありがとうございました。
先生の奥さんホントきれいでした。

森くん
マンガコレクションのなかでは「のたり松太郎」よかった。

「本が好きです」1のはずが、昔なつかしい話しになってしまいました。「本が好きです」2からは本に集中していく所存です。

では、また次回